2000.10.28 (1:00)

プラナリア復活!
2日前、残った一匹が頭をほぼ再生し、そろそろエサをあげてみようかと思って今日覗いたら、、、3匹!
つまり、復活しすぎて「体調いいな〜いっちょ分裂でもしてやろうかな〜」ってな具合で、勝手に自分で分裂しよったのです。しかも二回も!
頭まで再生してる2匹は餌も食べてくれたし、これで一安心かな、、、、(^^;

 

2000.10.20(4:00)

さっきプラナリアを殺してしまいました(;;)

最近流水装置から外してちょうどいい水温が続いたのか、2匹から分裂して5匹まで増えてくれてました。ところが、今日エサをやった後に水を煮沸して冷やした水に換え、まだちょっと水がぬるかったのでほんの少し冷凍庫に入れることにしました。
でも今考え事があって、思いにふけっていたら、、、2時間後氷づけになって出て来ました。
ぬるま湯をかけてゆっくり解凍しましたが、以前避暑のために冷蔵庫に入れて冷やしすぎた時のように、暖め初めは生き返るもののだんだん体が破けて食べた餌がむき出しになって出てきました。そして死にました、、、、
唯一、一匹だけは、分裂間もないのでまだ頭が再生しておらず、今回餌を食べられなかったのでちょっと外側の皮がむけただけですみました。
食後のプラは、外側の皮が死んでむけたら消化液が漏れて自分を消化しちゃうのかなあ、、、
ショックで立ち直れません。眠れない夜になってしまいました、、、

 

2000.9.13(21:00)

今日は十五夜の次の日、十六夜(いざよい)。
十六夜月は、十五夜の月より30分遅れて出て来るんだそうです。とても親近感を覚えます。
今部屋の窓から見えていますが、今日の月は赤くて暗めです。ぼーっとしてます(これまた親近感)。
昨日からの台風の影響でしょうか。雲があったり大気の密度が濃かったりして、赤い光しか届かないのかな。
今年はお月見だんご作ってないな〜。昨日の大雨ですっかり忘れてたよ。週末作ろう。
きな粉にしようかなあ〜あんこにしようかなあ〜。月は見ずともだんごは作らねば!花よりだんご〜♪

と、言うわけで、みなさまには去年作った私の力作をご覧頂きましょう(笑) →TMだんご

 

2000.9.3 (21:30)

このホームページを始めて、明日で一周年になります!
たくさんの方々に支えられてここまで続けて来れました。ありがとうございます。掲示板などに反応が多ければ多いほどやる気が増します。それがなければのほほん人である私はず〜〜〜っと何にもしないまま、へぼへぼホームページは忘れ去られた廃墟と化していたでしょう。カウンターも4600を越えました。幸い、プラナリアのホームページは数えるほどしかなく、検索をたどって訪れて下さる方が多く貢献して下さいました。これからもみなさんの心のオアシスとして、休憩所として、よりいっそうのほほんと、、、ではなくて(^^;、みなさんに楽しんでいただけるよう更新にいそしみます。
今後ともごひいきに(^^)

バイトの方も順調です。店長も奥さんも大奥さんもとても親切で優しい気のいい方たちで、のほのほしている私の、仕事とはとても思えない作業に対して、ひとうひとつ感謝の意を述べて下さいます。ちょっとこそばゆいです(笑)薬屋は薬屋でも漢方専門。しかもそこいらの日本版漢方とは違い、本場の中国漢方を勉強されているので本格的なんだそうです。説明を聞くと、とても論理的な学問で、まるで精神、気候、環境を含めた西洋医学のよう。漢方と言えば、神秘的、まじない的イメージが強かったのですが、本物は奥の深い理論に基づいているのだと知り、驚きました。教科書も見せてもらいましたが、説明がことわざや格言のように意味深で分かりづらく、わたしには理解不能でしたが、この道10年の店長に説明してもらうと、たった一行のその言葉の中にたくさんの意味が込められているのが分かりました。すごく興味はあるけど、これは一朝一夕には行かないだろうなあ、、、生化学の勉強より難しいね。絶対。もしかしたら西洋医学より難しいよきっと。

 

2000.8.25 (4:00)

午前4時に目が覚めた。昨日明かりをつけたまま寝てしまった。明かりを消すとまだ真っ暗で、横になると窓からちょうど月が見えた。今日の月はきれいだ。細く輝いてこっちを見ている。もう新聞配達のバイクが走っている。なんだかやけに一人が寂しい夜だな、、、

 

2000.8.22 18:00

19日(土)京都駅の大階段前の野外ステージで能と狂言が行われました。
客席は長時間座るには痛い石の階段。その代わり無料!その魅力に誰もが飛びつき、たまたま通りかかった若者や、旅行に来ていた外国人まで大勢の観客が詰めかけ、建物の4階から11階まである大階段はあっという間にぎゅうぎゅう詰め。立ち見まで出る始末でした。去年1時間前に来て端の方にしか座れなかたので、今年は2時間前に来て席をとりました。その時点で、能や舞台に目がないおじさんおばさん達、真剣に見に来たお姉さんなどが20人ほど来ていました。舞台では、まだ私服姿でリハーサルをやっていました。

TシャツにGパンで鼓をうっている。。

19時30分待ちに待った本番。本番はフラッシュ撮影禁止だったので、フラッシュをたかずにこっそり撮影

狂言「太刀奪(たちばい)」 太郎冠者:茂山あきら 主人:網谷正美 道通人:茂山童司 

太郎冠者と主人が道通人の立派な刀を盗む計画を立てるお話。太郎冠者のドジぶりが愉しいお話でした。

道通人を捕まえた主人(右)と捕まえてから呑気に縄をなって「待ってくれ」と言っている太郎冠者(左)。

能「舎利」 韋駄天:分林童治 里人のちに足疾鬼:片山清司 旅の僧:宝生欣哉

昔、足疾鬼という鬼が盗んだ仏舎利(お釈迦様の歯)を、韋駄天という菩薩が追いかけて取り返し、京都の泉涌寺におさめてありました。旅の僧がその仏舎利を参拝していると、里の男が現れ、仏舎利のいわれを切々と語ります。語るうちに気迫がこもってきて、旅の僧はたじろぎます。

すると突然、里の男は舎利の入っているほこらに入り込み、仏舎利をつかむとほこらの天井や壁をぶちこわして逃げて行きました(このとき、仏舎利から飛び出した男は着地がうまくいかず「ずてっ」と尻餅ついてこけました。わざとなのか、床が悪いのか、はたまた単にずっこけたのか、、、?)。寺の僧と旅の僧が話し合い、里の男は足疾鬼に違いないから、昔の言い伝え通り、念仏で韋駄天を呼んで取り返さねばということに。そうしてすっかり鬼の姿になった足疾鬼の前に韋駄天が現れました。足疾鬼とそれを追いかける韋駄天。舞台を走り、飛び、おいかけっこが続きます。笛や鼓、「よお〜」というかけ声も白熱を帯びます。

そしてとうとう追いつめられた足疾鬼から、韋駄天が舎利を取り返します・・・

能や狂言は、普段ちゃんとした場所で見ようと思ったら、3000円〜10000円以上はかかります。もちろん技術や設備の保存にそれだけ、それ以上の費用がかかるのでしょうが、最も多く文化に触れるべき若者、最も触れたいと望んでいるや旅行者達にとって、これは大きな障壁です。そういう意味で、このような場を設けてくださったJR、狂言師、能楽師の方々は大変すばらしいことをされたと思います。禁止なのにフラッシュ撮影するおばちゃんやビデオ撮影してる人たちがいたので、「もうやめる!」なんて事にならないか心配です。これに懲りずに来年もぜひやってほしいです。

 

2000.8.17

大食い王一生の不覚、、、
13日(日)胃を痛めて救急車で運ばれてしまいました。発作的に激しく痛み、のたうち回っていたのでそばにいたりんごちんがびっくりして119番してくれました。意識が遠のくほど痛かったのですが、救急車到着時にはほぼおさまってしまい、歩いて自分で乗りました。しかも病院まで歩いて一分やったし(笑)救急隊員の方々、ごめんなさい。でもほんとに痛かったんよ(;;)血液検査では何ともなく、白血球値も正常。とりあえず痛み止めの点滴を1時間。その夜は実家に帰る予定でした。コンビニで梅がつお粥を買って食べるが、なかなか食がすすまない。何とか食べ終わり、実家に帰ると、、、待っていたのは
「さくらもち」「あんドーナツ」などなどのご馳走たち、、、『ああ〜食欲はあるのに食べられない〜〜〜〜〜!!』その夜、桜餅はかろうじて一個残った、、、

次の日神戸へお墓参りに行きました。朝はお粥でしたが昼はうどんが食べられました。「よーし順調に治ってきた〜」帰り際、母が神戸のおいしい肉まんを買って、いい〜香りを漂わせながらつまんでいるのを横目で見ながら「明日喰ってやる。片端から全部食い尽くしてやる」と頭でつぶやき、耐えました。その夜、見かねた両親が「鯛なら食べれるだろう」と、尾頭付きの鯛を買って焼いてくれました。ちょっと慰められました(^^)「明日こそ、明日こそ」と思いながら風呂に入っていると、弟の帰ってきた気配が。そして、、

母「なあ、大変やで」
私「ん〜?」
母「あんた桜餅食べた?」
私「ううん、食べてないけど」
母「やられた、あきよし(弟)や。食べられたで」
私「ヒエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜(TT)」

4日たつけどまだいつものように(私の基準でいつもの通り)は食べられないです。ほんまに異常なかったんかなあ、、、

16日(水)京都は昨日五山の送り火でにぎわいました。この近辺(松ヶ崎)がにぎわうのは一年でこのときだけです。五山のうちの「妙」の字がある山の麓に住んでいるので、部屋の窓からど迫力で見えます。「大」の字と「法」の字も見えます。最近田畑を潰して家やマンションが建ち初め、文字全体は見えなくなりました。ちょっと寂しいです。

今年はお抹茶をたてながら見ました。部屋を暗くしていたのでたてにくかったですが、古くなって色の悪いのがばれなくてよかったです(笑)

 

2000.8.11(1:00 PM)

バイト決まりました。次はお薬屋さんのお姉さんになります。制服は白衣。妙になじみすぎて変な気持ちです。高校時代、「あなたは日本一白衣の似合う女だ」と褒められたので(褒められたのかなあ?)白衣姿には自信があります。見た目だけはばっちりです。見た目だけは。大学時代に買ったやつ使おうかしら、、、
そうそう、
今日2000円札が私の財布にやってきました!
駅の改札で1万円を両替すると、何故か2000円札二枚と千円札6枚に換えてくれました。妙にキラキラしてて、両端にピンクに光るつるつるした部分があります。2000の文字もキラキラ光ります。初めに思ったことは、
「これ本物やろうか、、、、?」
使う側の私が怪しむくらいだから、店の人はもっと怪しむだろうなあ、、、といっても、まだ自販機は対応してないし。この貧乏生活で4000円も取っておくことは全く持って不可能だし、、、勇気だして使お。

 

2000.8.8(19:00 PM)

生TM見てきました。
18切符の旅は想像より大変なものでした。時刻表に慣れた人と一緒でないと到着できなかったかも知れません。朝7時に大阪を出、17時半頃ぎりぎりセーフで新横浜のライブ会場へ。6年ぶりに全国から集まってきたFANKSのエネルギーはすごかったです。他にはないほどの一体感がとってもよかったです。宿泊は埼玉のしばっち宅に。この旅の七転八倒、どたばた大騒ぎはライブレポートをご覧下さい→TM NETWORKライブレポート

 その翌日帰宅、またその翌日、大阪で行われたTMRevolutionのライブのために、今度はしばっちが大阪へ来訪。滅多に会えない人に連続して会ってしまうことになり、おかしくてたまりませんでした。私は金欠のため、そのライブには行けなかったのですが、翌日オフ会+しばっち大阪観光に参加しました。急遽ボヤッキーさんを呼びだして、「お昼ごはんだけでも・・・」さらに厚かましくも、「会場で買えなかったTMの新曲とCD−R見せてくださ〜い」と頼んでしまいました。待ち合わせは鶴橋。当日、らいちゃんが間違えて区間快速に乗ってしまい、遅れるとのことだったので、彼女が到着するまで喫茶店へ。持ってきたパソコンで新曲聞かせてもらいました。CD-ROMは何と、長方形!ノートパソコンのカードスロットに入るくらいの大きさで、シングルCDのくぼみに入れてふつうに回せば読めるんだとか。もう手に入らないものなので、拝めただけでもラッキー。ボヤッキーにーさんありがと〜〜〜〜!
 らいちゃん到着後、第一回オフ会でおなじみのお好み焼き屋「オモニ」へ。今回はこんにゃく焼きと坂田焼き(坂田敏夫仕様のお好み)で「らい焼き」と「TM焼き」を作りました。そのあと難波にいる、らいちゃんの仲間に会いに行くことになったのですが、ボヤッキーさんはスケジュールの都合で無理があり、涙をのんで鶴橋でお別れしました。難波でもあまり時間が無く、カラオケを1時間してお別れでした。
 しばっちとりんごちんとわたしだけ、そこから歩いて通天閣へ。とりあえず上ってみました。たくさん歩いた上めちゃくちゃ暑かったので、そこでしばらくしみじみ涼みました。そっからフェスティバルゲートへ。中でお茶するつもりだったのですが、建物の中の狭いスペースを縦横武人に走り回るジェットコースターを見て、しばっちが一言、
「乗りてえ、、、」値段もちょうど夏のサービス期間で一回500円。前日の野外ライブと今日の疲れを押して、りんごさんとしばっちは子供のようにはしゃぎながら乗ってしまいました。軽く冷たいものを食べ、町の中華料理屋さんでごはんを食べてりんご宅へ。ついでに私も泊まることになったので、みんなで銭湯へ行きました。その後はやっぱりネットで遊んで就寝。しばっち、板の間に寝かせてゴメンね(^^;君はやっぱりええ人や。また遊びに来てね。

その翌日の夜、りんご宅の前を夏祭りのだんじりが通りました。

その翌々日の8月3日、淀川の花火大会へ。煙で見えなくなるほど、これでもか、これでもかと打ち上げまくる大阪らしい花火でした。 色も派手で、赤、白、黄色、青、緑、ピンク、紫、、、、しかもでっかい!ちっこいのは変わり花火だけでした。にこちゃんマークとかハートとか桃とか。一番美しく撮れたものだけアップします。

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